苦労創業-創立メンバーの四人が孤山との縁

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丁仁と呉隠の二人印社創立者が印を討論していた時の光景。(E口年に撮影)


        清光緒末年、丁輔之?玉耀?葉為銘と呉隠ら4人の若い筆刻家たちが、孤山のひと隅で誇同士と金石研究、豪刻の品定めをよくして、吟味を交流するうちに、先賢を真似て、孤山で印杜を結成することにした。そこで、「地名に因んだ社名を名付け、築刻を内容対象とする」、同士らがそれぞれ私財を出して、彊山で寄付して土地を買って、草創造営、清朝光緒三十年(1904) のことだ。


       創立メンバー:丁仁(1879-1949)、本名は仁友、字は輔之、号は鶴盧、斎名は小龍泓館。浙江杭州人。知識人家庭出身、浙江印派を学んで上品で生粋、書道は甲骨文字の使用が得意で、描いた絵が人に感動させるほど上品で艷やかである。西冷八家の印鑑をたくさん収蔵した。

       創立メンバー:王禔(1880-1960)、本名は寿祺、字は維季、号は福庵、別名は羅刹江民、七十歳後自号は持黙老人。斎名は糜硯斎等。浙江杭州人。書道が得意で、特に篆隷書体で名を知られる。篆刻に精通し、浙江派を受け継ぎ、風格が典雅で上品、飾り気がなく重厚で、近代篆刻の重厚風格のを代表する大家である。

創立メンバー:葉銘(1867-1948)、族譜における名は銘であり、字は盤新、品三、号は葉舟、斎名は鉄華庵、松石盧。原籍は徽州新安、杭州に寄留していた。篆書隷書が得意で、石碑の彫刻ができ、印鑑を作ることに長け、秦漢風格を受け継ぎ、浙江派と融合し、金石考証学に精通している。

        創立メンバー:呉隠(1867-1922)、本名は金培、字は石泉、石潜、号は潜泉、遯庵、斎名は纂籀簃、松竹堂。浙江紹興人。書道篆刻が得意で、秦漢印鑑と浙江派の風格を受け継ぎ、質朴雄勁。山水花鳥を描くことが得意、石碑の彫刻ができ、印肉の作りも得意、経営に詳しい。